マレーシア生活blog

世界一周やイギリスYMSを経て、今度はペナンに引っ越してきました

一年間の旅を終えて

私はやりたいことの優劣などないと思ってる。誰かの命を救いたいのと、ゲームをクリアしたいだったら前者の方が確かに高尚に感じられるけど、何だったら凄くて、何だったらダメなのかなんてないと思う。
やりたいことやればいいじゃん、と思う。人に迷惑かけるってのは論外だけど


別に一年旅行してましたっていうのはただ遊んでただけで、みんなが苦労して働いたりこども育てたりしてるなか、そういういっさいがっさいから逃げて、ただ行きたいところに行って、食べたいもの食べて、見たいもの見てただけなので、綺麗な言葉で着飾って、さぞかし何かを学んできたかのようにこの一年を正当化するつもりはさらさらない。無責任に人に旅を勧めたいとも思わない。
実際私が旅に出たのも、どうにもならない現実から逃げたかった、だけだと思う。


でも夢を叶えたのはほんと。昔からずっとやってみたかったことを、やれたのは単純に嬉しい。それだけでまったく充分なのかもしれない。わがままなことをこれからどんどん書くけど。


旅中は常に自分と向き合うしかなかった。すべての選択の責任は自分にある。まっすぐ行くのも、右に曲がるのも左に曲がるのも、戻るのも、自由。その選択肢を決めるにはやはり、何が私の幸せの軸なのかを、常に考える必要があった。
おいしいものを食べたい。きれいな景色を見たい。素敵な音を聞きたい。。。それをつきつめていって、私は幸せ。本当に?


正直日本人の私からすると日本に生まれたことはそもそも、世界のなかでもすごくラッキーに感じてならなかった。資本主義で基本的には頑張ればその分報われる、カーストもないし、医療も教育も普通に受けられる、大抵の国への観光ビザも簡単に手にはいる、もしくはいらない。
しかしどしてだろう、世界の人はどうしてお金も物もなんにもない国でも、こんなに笑顔でいられるのかと、何度も思った。
お金があることや物があることが単純に幸せではない、今まで固執してしがみついていた物は、私の幸せそのものではなかった。
私の幸せとはなんだろうか?


私は結局、ずっと探してたんじゃないかって、それを。愛を。
今までの人生、愛されてこなかったとはいわないけど、寂しい思いをしてきたのは事実だし、今まで彼氏がいなかったわけじゃないけど、なんだか本当に愛されてる気がしてなかった。どんなに私のために何かいってくれても、泣いてくれても、どこかでは疑ってしまう程の重度。ディズニー映画みたいな、純粋できれいな愛を、愛の存在を信じたい一方で、本当の世界には見たことがないと思ってた。彼に会うまでだって、他の人にもそれを探してしまっていた。
でもひたすらに愛の泥沼にはまっている時間は確かにあって、生ぬるい嘘みたいに甘くて楽しい時間が、どんなきれいな絶景や心動かしてきた夢みたいな新しい体験より、頑張って達成した難しいことより、なによりも気持ちいいものだった。
甘いガスをすってしまったかのように麻痺して、今までしょってきたいろんな固くて重いものがどんどん溶けて、心のなかは少女に戻ったようにきらきらとして、そんな時間が何を差し置いても幸せだった。
それを失ってまで欲しいものなんかもうなかった。
世界一周しようと決めて、いや決める前からずっと、探してたものはこれだったんだと思った。


これを旅行マジックとか、なんにもない国だからとか、そうゆう言葉で守りに入ることもできた、でも私にはやっぱりどうしてもこんなものが他にあるとは思えなかった。


それくらいしがみつきたかったものだったのに、彼が出した答えは、ただただ非情としか思えなかった。ああやっぱり、~省略~だからと。そんな合理的な話をしてるんじゃない。そんなことは私もわかってる、でもその壁を乗り越えたい意思があるかないかを聞きたかった。好きというのには幅があるから、多分彼は私のこと好きだと思ってくれてたと思う、でもそれはそこまでのものではなかったんだ。そもそも私の父親が私達を捨てたときに言ったらしい言葉が、自分の人生を生きたいから、だったときいた気がする。私達のことを本気で愛していたら、どこかに妥協点があったはずだと思うのに。
当然私にだってやりたいことはあるんだから、もし別れたくないと思っていたらそのちょうどいいところを探すべきだと、探そうとするものだと思う。そういう意思さえなかった。
つまり2ヶ月かけて本当の愛と錯覚して溺れてた世界はただの夢物語だったのである。
結局私は愛が一番大事とわかったと言っておきながら、一番大事なものを得られたわけじゃない。
それに、結局愛かよって。一番大事なのは。そんなのみんな知ってるって?
当たり前なんじゃないかよって。


でもないんだよね、どこにも。1年かけて世界一周していろんなものを見て、感動したり苦労したり、いろんなことが書ききれないくらいあったなかでも、やっぱりどうしても見つけられなかった。いや、あったんだけど、手に入れられなかった。
日本には20数年住んでたし、東京にも大阪にも住んでたし、それでもどうしようもなくて、最後にやりたいことをしようって決めて旅に出てみたんだけど。
結論としては、これからも探すしかないってことになってしまった。
ハッピーエンドでおわることばっかりが現実じゃないよね。
落ちがとっても残念なのがリアル、ということでしょうか。


まぁ、愛なんて簡単で難しいテーマを抜きにしても、
何が本当にやりたいことなのか、を知ることが大事なのかもしれない。
何をすると自分は幸せに思えて、満たされるのか。
そうじゃないことをし続けてるのは無駄だ。


わくわくしないことなんか、これっぽっちもしたくない。
みんな我慢してるから?そんなの知ったこっちゃない。
私はこれからもやりたいことしかしたくないよ。
だから私はまた強烈に選択をしていく、ことにする。リスキーでも。


そんな決意です。


ネガティブなことばかり書いているようだけど、この一年は最高な一年だったことに違いないよ。そりゃぁそうでしょう、私の幸せを突き詰めるっていう行為の繰り返しなんだから。
それって全然高尚なことじゃないけど、私はそれでいいと思うんだ。
だからいいの。これからもそうする。



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