マレーシア生活blog

世界一周やイギリスYMSを経て、今度はペナンに引っ越してきました

ベリーズに戻りたい②

可愛い甘えたな子猫の誘惑を振り絞ってエアコンのない部屋で扇風機に吹かれながら寝ると、早朝から目が覚めてしまった。開けっ放しのドアからまだ少し暗い中にも柔らかく光が差し込んでいて、せっかくなので海まで歩いてみる。といってもホステルから5分もかからない、ホステルを出て右にまっすぐいったところがもう海である。
誰もいない桟橋の先までいくと、太陽がまた1日を明るく照らし始めようとぐんぐん登っていく。
すると、ホロ、彼はホロと名乗っていた気がする、いかにもレゲエないつもその辺にいる彼が横に来ていて、私達は何をするでもなくただ日が昇るのを見ていた。もしかしたら彼はマリファナを吸っていたかもしれない。たまにくだらないことを話した気がするが忘れてしまった。
目の前の海が赤く染まっていくのを、海の色や空の色を変えていくのを、ぼうーっとみていることだけで、それだけで心がいっぱいだった。


気がつくと太陽は上がっていき、いったんホステルに戻って昨日食べ残したサラダを食べて、シュノーケリングのツアーに出かけた。それだけでいい一日になったと満足して終わらそうなものだが、今日はこっちがメインだ。


最初のお店では1人と合流し、人数が足りないのか船の不具合だか忘れたが、他のお店の人たちと行くことを説明された。そもそもよくあるツアーのように、元から大人数で割と大きな船に集められてどこのツアーも同じようなところに行くのかと思っていたので、かなりの少人数での催行に驚いた。5,6人だった。
しばらく桟橋の上で待たされて、いつ行くのかと少しだけ不安になったが、小さいスピードボートで出発した。


水色のゼリーがうねり、白い水しぶきを飛ばす。沖に出れば出るほど、島の周り以上にひたすら水色、スカイブルーの世界。


最初に船が止まった場所がもう、ありえない場所だった。大量のデカいサメ。スティングレイ。カメ。あまりにもうじょうじょ、まるで日本の公園の鯉のように口を開けて船の周りに集まってくる。GoProを丸ごと食べられそうになりながらカメラを水につけて動画を撮ったり、船の端から水に入って回り込んで泳いで近づく。ダイビングでもこれだけの大物がうじゃうじゃ集まる事はそうそうない。シュノーケリングではせいぜいトロピカルな魚がたくさん集まるってのが普通の期待値で、それ以上なんて考えもつかない。水も透明だから見える視界が全部すごい。


動画が載せられないのが残念である。


さらに文字通り、怖い、くらいの大興奮の先がまだある。それは、なんとマナティー。ベリーズのシュノーケリングは運が良ければマナティに出逢えるというので有名で、どこでもマナティの絵を描いて、宣伝していた。私がいった時期はマナティのギリギリ観れる時期と言われており、そもそもマナティってどんなだっけ?ジュゴンと何が違うのか?人魚伝説の元になったのはどっちだったかと思ったりして、そのくらいのぼんやりとした知識しかないし、本当に会えるのか半信半疑だった。


いくつかマナティがいるらしいポイントを探しながら進む。他の船にあっちにいた、とかききながら、なかなか難しいのかなーと思ってた矢先。
ほら、あそこをみてと、何もない水色の海の中にぼんやりと影が見えるところがあった、マナティだった。
みんなマスクをつけて飛び降りどんどん泳いで向かっていく。透明度が高いので遠くからでもそれがみえる。特にこれといって周りに何もないだだっ広い海の上でただデカイ海獣が水面付近に浮かんでる。それでも近くまで行ってみるが、相手はガン無視。たまに空気を吸いに水面から顔を出す以外は常に何もしてないように見えた。
もっと警戒したり、深いところを泳いでたり何かの陰に隠れたり、するものとばかり思っていたので、拍子抜けである。
しかし私たちはたくさん写真も撮れ大満足。


そのあとはシーホース、タツノオトシゴを見せてくれると島の反対側?のつまり西側の桟橋の方に一度向かった。ペリカンが普通にいる。

大きな魚の影が見える。


桟橋の下などを覗くと確かにそこには小さい黄色のタツノオトシゴが!写真には撮れなかったが、初めて見れたし、他の外人にとっては相当珍しいのか、みんな必死で探していた。もちろん私も初めてみた。


そんなこんなで何ヶ所かのポイントを巡るツアーだったが、こんなすごいシュノーケリングのツアーは初めてで、人生で一番となった。
明日のダイビングへの期待が爆上がりすぎて、失望しないか不安になるが、そんなのはいらぬ心配であったがあとからわかる。


夕方は夕方でホステルから出て西側に5分も経たないところに夕日が落ちる。
何もせずただ夕日が沈むのを見る。時折魚が跳ねるくらいの波のない静かな水面に、空の色を刻一刻と変えながら、太陽が吸い込まれていく。時間はゆっくり、でも確実に進んでいく。





シュノーケリングツアーが小さいボートだったので背中は日焼け以上に、もはや火傷して熱く、疲れていたし翌日も朝早いので寝ようとしたら、部屋から花火が見えた。ベリーズの独立記念日だった。
ことごとくついている。独立記念日とはその国で1番のお祝いの日なのである。日本には独立記念日はない。日本はずっと日本だし、なんならどちらかというと侵略する側だったのである。
なんとも言えない気持ちで花火を見る。グアテマラでもスペイン語の先生から、日本の独立記念日はいつなのか?と聞かれたことがある。独立記念日がない、つまり占領されたことはない、ということに驚かれたことを思い出す。
私が見る世界が当たり前のように平和なのは、つい最近のことなのかもしれない。




つづく…

ベリーズに戻りたい①

世界を1年旅していました、というとどこが一番良かった?と必ず聞かれるわけで、地球の美しさを目の当たりにできるアイスランドなのか、今も民族衣装を着て暮らす目の綺麗な人々が住むグアテマラなのか、はたまた異世界という意味ではイスラエルやキューバやインドなんてのも面白かったなぁと思う。個人的にはスペインだってイタリアだってメキシコだって、好きなところがありすぎて返答に困るのだが。それでも東京に帰って普通に、一般的日本人がいうところの、普通に、働いていると、今すぐ戻れたらいいのに、と思うのはベリーズである。
ベリーズってどこ?って思う人が多いかもしれない。メキシコの下、グアテマラの東側の一部で、ジャングルの向こう側の海だからってイギリス人に取られちゃった、みたいな感じの国で、カリブ海の宝石といわれる呼ばれたりしている。
実は世界の絶景の本には必ず載っている、ブルーホールという海に突然大きな深い穴が有名な国である。海の怪物の寝床とよばれている。スキューバダイビングを趣味とする者には人生一度は潜ってみたいに違いない場所である。
正直言って綺麗な海、というのはいろいろ見てきた。沖縄だって世界有数のリゾートであるし、モルディブの島にも、バリやプーケット、UAEやトルコ、イタリアの島でもダイビングをしたことがある。それでも思い馳せるのはベリーズなのである。


世界一周も折り返し地点を過ぎ、私はスペイン語を勉強する、という建前のもと、ひたすらグアテマラでだらだらして過ごしていた。スペイン語勉強の地で有名なアンディグアは高地で、日差しが暑くてもからっと涼しい場所だったが、日本人が嫌でサンペドロラグーナに移って、そこで虫にやられまくってようやく移動することにした。フローレスまではセムックシャンペイというジャングルの中の絶景地に立ち寄ってから行くつもりだったのだが、いろいろあってその辺の話はまたいつか。とにかくそこは見ずに、フローレスまでなんとかしてバスで移動し、そこからまたバスでベリーズまで国境超えて移動だった。
涼しい高地から、ジャングルの蒸し暑い気候が、同じ国でも全然違う場所に来たような、いやそもそも本物のジャングルなんてきたことないので、新鮮で面白いはずなのに、モロッコの長距離バスで悲惨なゲロバスを経験していたので、ここは乗り物酔い止めの薬、ドラマミンでぐっすりだったのであまり覚えていない。とにかく汗がべっとりする南国の気候が久しぶりだった。


汗でべとべとになりながら国境越えしたかと思えばまたそこから船である。といってもスピードボートのような船。私が目指していたのはブルーホールなので、キーカーカー島までいっきに移動してしまう。海というだけでてんしょんがあがる。そして突然の英語。そう、イギリスに取られてた場所なのでここは英語圏の国なのである。今までは背の小さなマヤの末裔たちと慣れないスペイン語で会話していたのに、いきなりでかい黒人がべらべら英語を話している。いかにもカリブ海にきた、という感じだ。私と同じように移動していたアメリカ人たちが息を取り戻したように気楽な雰囲気になり、それについて私も船に乗り込んだ。私もどっちかというと、というかダントツで英語の方が楽なのであるから、久しぶりの英語圏で嬉しかったのを覚えている。


船がたどりついた先に待っていたのは、木の桟橋がいくつも海へ伸びていて、いくつか小さな船が止まっている、キーカーカー島。久しぶりに砂を踏んだし、荷物が引きずりにくいけど、もうみるからに楽園という感じで最高だった。照りつける太陽と、ヤシの木、見渡す限り大きなホテルなどは何もない。小さな子供があそんでいて、人もまばら。とにかく田舎のなんにもない島、という印象。最高すぎてもう汗なのか、涙なのか。


そこでもホステルのクーラーもない安い部屋をとった。イギリス人の女性がちょっとおかしいくらいテンションが高くてひいた。私ももう久しぶりの南国でとんでもなく熱く感じていたが、さっそく島を歩いてみた。めちゃくちゃ高いダイビングを予約して、シュノーケリングも有名なので、誰かのブログで見たお店を探して歩いていると、話しかけられる。
いかにもレゲエな見た目のはだしで歩いてる黒人で、当然の英語。ここでそんないそいでどこいくの?ゴースローだよー。みんな日本人そのお店探してるね、って笑われる。スペイン語に苦労していた私からすると、久しぶりに普通に現地の人と会話できて最高な島だと思った。彼にはそのあとも何度も会う。ほんとに小さな島なのである。


結局そのお店はお休みのようだったので、別のところでシュノーケリングを申し込んだ。そこでも英語だからもうほんとに全部わかるよ、と感動する。そして、そこのお兄さんとちょっと飲むことに。当然のようにどこからでも海が見えるし、下は砂である。なんなら細い島で、ビーチの横の道ともう1,2本しかないのだから。山から来た人にとってはそれだけで最高である。私がスペイン語を少し習ってたと知って、スペイン語と英語を混ぜて話すという、夢みたいな会話が成立した。ベリーズの人は英語を話すが、スペイン語も当然のようにできるようだ。英語とスペイン語を普通に話せるとは最強な国民である。ちょっとスペイン語を使えるのも楽しいし(たいしてやってないが)勉強しててよかったと思った。久しぶりに食べたエビのサラダもおいしかった。オススメのカクテルをもらったが、当然のラムベースであった。カリブ海に来た気しかしない。そうだカリブ海だ。あの、パイレーツオブカリビアンのカリブ海なのである。



そして夜の桟橋にいく。桟橋は沢山あって、当然人もそんなにいないので、私たちだけしかいない。サメがいないかとおそるおそる足を海に浸しながら、それに笑われながら大丈夫だと言われ、寝転がって空を見上げる。もうそれだけで生きてよかったと思えるほどに最高である。お店のやわらかい明かりがぼんやりと島側にあって、ゆるやかな波が真っ暗な海に煌きを与える。反対側には暗闇に吸い込まれそうな海がどこまでも広がっている。星もいつもよりきれいに見える。足首から先にじんわりと涼しい波が当たる。背中に広がる木と砂の感触。波の音。


明日もさっきの店で待ってるよーといわれなながらもちゃんとホステルに帰る。こうゆうちょっとちゃらい優しいお兄さんはメキシコっぽいと後からは思う。グアテマラはそういう感じではない。やっぱり暖かい場所はすべてが気楽な感じなのである。


つづく・・・

世界一周後2か月経ってみて

いつのまにか世界一周から帰国し2か月が経っていました。
帰ってからどうするか、旅中は何度も不安になったけど答えは出てなくて、
帰ってからもすごく悩んでました。


実際は北海道、沖縄、関西、東京に、なんだかんだ上海にもいって
あそんでたのが一か月くらいです。
私の中ではこれから
①ワーホリする
②日本のどこかで働く
③キューバにいく
で悩んでたんです。


でも悩みに悩んでやっぱりキューバ行きたいよ誰がどう反対しても!
と決意して彼に連絡をとったところ「正直困ります。遠慮願いたい。」
とだけ帰ってくるという、非常に非情な結末で(大爆笑
すぐさま東京で働くことに決めました。
その日にはシェアハウスも決めてすぐ実家も出ました。


さすがに貯金も尽きて、高校生と一緒にバイトの研修で声だしさせられたり、
製薬会社で営業やっていたとは思えないニート(ギリフリーター?)に転落。
お金がないっていうのがほんとに恐怖になり
今まではコンビニやカフェでは値段も見ずに適当に買っていたのに
水筒を持ち歩き、一番安いカップラーメンを食べたりして節約する羽目に。
キューバの彼にも泣く泣く5万を返してもらうやり取りで
心底なんだったんだろうという後悔の気持ちにもさいなまれ。
なんか本当にむなしい思いしか残らなくって、
(いつかネタにした本でも書いてやろうと思っていたりするよw)
ちょっとだけ苦労してたりするかなw


ただ、一年なんだかんだ人と関わって生きていたので
シェアハウスに住んだのは本当に正解でした。
まず、無職でも借りれて、敷金礼金も払う必要もなく、家具もついてるという
条件の良さに加え、英語スペイン語が話せる環境かつ、
なによりも寂しくないというのが本当に、心穏やかに過ごせています。
こないだもみんなでスノボいって
真面目薬学部にいってインドアに過ごしてた私にはなかった
東京の大学生っぽい青春を取り戻したようだったよ。笑


基本が毎日休みなので、(笑)
ツイッターで旅中からフォローさせてもらってた人に会ってみたり
フィリピンでお世話になった方々に会ったり
いろんなことを考える時間があってね。


まずは圧倒的にやりたいことが増えてしまったこと。
英語、スペイン語、カメラ、ダイエット、着物着付け、日本のことも世界のことも旅行のことも宗教のことも勉強したいことだらけ。・・・
(みんなそうらしいね笑)
お金に関しても勉強したいって気持ちもすごい出てきて、
っていうのも、お金はさ、私はただのツールのひとつかなって思ってて。
お金がなくても幸せそうな笑顔ってのはいっぱい見ちゃったし、
でも何かをやりたいと思った時にお金がなきゃできないのは当然のことだし
対価ってのは払うべきだしね。
そしてなにより大人としてお金がないっていうのは本当に恥ずかしい、
世界一周して帰ってきて、所詮バックパッカーは貧乏みたいなさ、
大人になった時のため、一生懸命頑張っているこどもたちに、何の夢もない私の姿をさらすのが嫌で仕方ない。
だからといってお金が目的になるのも嫌だったし
お金なんててっとり早くさっさと稼ぎたい。
そのために少しずつでも勉強をはじめているところ。


それはいい。
疑問に思い始めちゃったのが、ある種の旅人をターゲットにしたある種の団体、
もうこれが私の考えとは真逆いってて。
旅行中、ほんとにたくさんの人に助けてもらって、今後どうにかして恩を返したいって気持ちが一番大きいってのに、
それどころか、旅人をカモにしてお金を稼ぐってのは一番ありえないことに思えてる。


実際友達がある種の団体で旅に行こうとがんばってて
それを止める気なんてさらさらなかったんだけど、


もしこのブログを読んでいて気づいてもらえるならいいなって思う
おかしいから。
絶対にありえない。
自分が受けた恩を忘れて、新たなこれから旅に出ようとしてる旅人から(ちょっとおかしいなって思える)お金とるなんて。
トルコやエジプトに行く前から日本でぼられてどうすんだよって私は思っちゃう。


まぁごめんね、旅行から帰ってきてお金ないし
旅行してきたことを生かしてお金稼ぎたいって思うのもわかる。
自分がいい経験したって思っているから人にも行ってほしい?
どんだけ厚かましいんだ。そんなすごい経験したの?
綺麗な景色の前で写真撮ってくることがそんなに人生変えるほどの経験なの?


そもそも、そんなに人に勧められなくても興味あれば行くっしょ。
他の事やってる人に旅だけが正解みたいなことはまさか言えないし
仕事や学校辞めてまで行くことにはリスクだってある。
他人にそんな適当なこと言えないよ私には。
行きたい人は勝手に調べて行けばいいんじゃないの・・・?
インターネットがあるじゃない。
とりあえず航空券買えよとしか。行けば何とかなるよ。
私にできることがあれば助けるよ。
みんなそうじゃないの?


まぁね、実際今私も写真展みたいなことやろうとして
自分の写真のしょぼさはもちろんだし
理想をいってても何もできないことはわかってる。
イベントみたいなことは何にしたって、お金がかかるわけだから、
旅がテーマなら、旅したい人からお金を払ってもらわなきゃ成立しないのもわかってる。
しかも払っている方も、それで満足しているなら、確かに何の問題もない。
そもそも私がどうこう言うことじゃ全くない。
ビジネスとして成立しているんだもの。


この話長くなったけど、今すごい葛藤がある部分だね
確かになんらかのアウトプットしたいって私凄い思っているのも事実だし
考えていることもあるしね、
もちろん旅に関わらす、人が困っているのであれば助けたいってのが前提にあるから、なんかできるのならしたいし。
理想求めて何もしないよりは、失敗しても何かした方がいいと思うし。


世界一周の話聞きたいっていってもらえることはあるし、うれしいけど
(実際あってみたら普段の愚痴ばっかり聞かされるってこともあるしw)
結局そんな大したこととではない、といっちゃえばないんだよ。
もっとすごい色々経験してる人もいるし。
私に関しては死にたいくらいなら旅すれば?っていうネガティブからの旅行だし。w
あんまり参考にならないけど。


細かいこと言えば旅行中、いっぱい思ったことや考えたことってあったけど
それが日本で頑張って朝から晩まで働いていたり子供育ててたり
そんな人たちよりもえらいわけじゃ全然ないよなって。


でも、みんなが出来なかったことをさせてもらったからにはさ、
最低限、帰ってきてからダサいってのがもう絶対どうにかしたい
ちんけな小銭を巻き上げるくらいだったら
納得できることでちゃんと働きたいよ、私は。。。


というわけでようやく薬剤師やるわw
免許持ってたから幸い仕事には困らないw
経験がないってのがでかいけど。。。




あとは自分のモチベーションの問題。
世界一周が楽しすぎちゃってさ、そりゃぁそうだよね、一年遊んでただけだし
やりたいことしかやってないわけだから。
今度の人生にこれより楽しいことってあるの?くらいの絶望的な気持ちになる
しかも仕事始めたらすぐには長期の旅行なんて無理だし
それでも世界二周目をする希望でも持っていない限り
どう頑張ってもやっていけない。
今は働いてないし毎日それなりに楽しくても、もう旅は終わっちゃったわけで。
圧倒的な未来への絶望感が常にやばい。
同時に婚活とかももちろんプレッシャーだし
都会で生きてくのってやっぱりすごく疲れるんだよ。
目がもう疲れる。
都会は目に入る景色がすべて、楽しげじゃないの。




まぁなので、今のモチベーションとしては
これから旅をしたいと思った人が、
とくにいつか世界を旅したい子供たちが、
絶望しないような世界にしなきゃいけない。
帰ってきた私がまともに生活できてますっていうのは最低限だし
理想としてはかっこいい大人として
未来のこどもたちにはなんか残せるようにしたいし
自分自身が誰か助けられるなら、手は差し伸べたいよ。
助けが必要なところにちゃんと届くようにしたいじゃん。
と思って、なんとかやってる。
まぁ無力だけどね、今は全然。


たとえば英語を勉強することだって
もちろん英語が出来なきゃ助けてあげられない人がいることにもつながるわけだし。


でもさ、思うのは
私が大機嫌いな、嫌なことでもやり続けたり、苦労してなきゃだめ論
とは違うし、頑張れ努力しろとはまったく言わないけど、
旅なんて所詮遊びだしやりたいことのためには自分で動けってことだわ。


(旅のセミナーに出て満足してんじゃねーよ。)
私は若い人がいいように搾取されてんのが悔しいよ。


何事も
やってみなきゃわかんないし
やりたいならやればいい。


そう思って、自分にも言い聞かすようにして、
やりたいことを叶えられるように動いてみるしかないなぁと。


こうゆう熱いこと言うの大嫌いなんだけどね
精神論とか、ばからしく思えるんだけどね、
そうとでも考えなきゃ、やってけないんですわ・・・


生きるってことはさ。
何か未来に希望がないと無理じゃない?
少なくとも私はそうだから
まだやりたいことが出来ると信じてやってみるしかないわけで。
いつか叶うなら、やりたいことがあるうちは当分死ねないよな。


人生に絶望して、それだったら最後
稼いだお金を全部使って好きなこと(旅行)しようって
出かけて帰ってきたら、、


死ねなくなった。
それで十分でしょう、旅の価値。